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父のこと


今週父の13回忌法要がある。 父が亡くなったのは今から12年前、2月最後のとても寒い夜だった。亡くなった日の翌朝は眩しいくらいの冬晴れで、なんでこんな日なのに、と思ったことをよく覚えている。そしてひなまつり前日のお通夜には雪が降り、翌日の葬儀が終わる頃には暖かな陽が差した。まさか3人姉妹の父の葬儀がひなまつりに重なるなんて。父らしいというか、なんというか。ひなまつりが過ぎると日に日に暖かくなり、今に思えばその季節の変化にも家族は助けられたように思う。そして桜が散る中、四十九日法要が行われた。 そんなこともあってお正月が過ぎてから桜が散るまでは、父を想う追悼月間。父が大好きだったペリー・コモやナットキング・コール、グレンミラーを聞きながら過ごしている。 父は公営競技のオートレースのオートバイを作る職人だった。休みなく毎日遅くまで仕事をして、たまに定時に仕事が終わったときは急いで帰宅し、汚れた作業着からお気に入りのスーツに着替え、首都高を飛ばし閉店間際のデパートや、レイトショーの映画などに私たちを連れ出してくれた。映画なんて途中から見るからよく分からない...、そんなこともあったけど、それもひっくるめて父のスピードに合わせるのが楽しかった。 父が家業を継いだのは高校生のとき。祖父が突然倒れ、就職先が決まっていたけれど仕方なく継ぐことになったそう。フレームがぎっしり並ぶ工場で、上半身裸で作業をしている父の若い頃の写真がある。きっとその頃の写真だと思う。当時の大変な話はいくつか父から聞いたことがある。手作業でパイプを曲げる作業をしているときに、熱しすぎたパイプが破裂して祖父に大怪我をさせてしまったこと、思うような仕事ができず選手から叱責され返品されつづけたこと。(それでものちにその方は自分の競争車に父の名前をつけてくれた) 父はよく「子供は3人女で良かった」とも言っていた。本心かどうかは別として、父は私たちには好きな仕事をして欲しいといつも言っていて、私が絵を仕事にしたいと言ったときも一度も反対せずに応援してくれた。 20歳の頃、仕事を始めたばかりの私に「心のこもったものを作りなさい」と言ってくれたことがある。それは父が祖父から言われた言葉で、当時の私は一つ一つの仕事を一生懸命に丁寧にやることだと思った。でも不思議と30代、40代、それぞれの年代ごとにその言葉の解釈も変わってきた。もちろん一生懸命、丁寧にやることもその言葉の意味の一つだと思うけれど、今は「ブレずに変わらずにやり続ける、やめないこと」なのではないかと思うようになった。人を思って心を外に向けていくだけではなくて、内に向ける。そうすれば自分も人も裏切ることがなく、心のこもったものを作っていけるのかな...。 そんなことを今、父とお酒を飲みながら話したいなぁと思う。もっと仕事の話も聞きたかったし、私の仕事のことも伝えたかった。 私は父に顔がそっくりで年をとってきたらますます似てきた。写真のふとした表情とか、もう笑ってしまうくらいそっくり。そんな自分を見ると、私と一緒に父が生き続けているような気がしてとても心強い。 大切な友人や素敵な先輩方に恵まれ、いつも笑っていた父。一人先に去るのはどんなに辛かったかと思うけれど、父の人生は短くも濃密で幸せな日々だったと、父の歳に近づくにつれ、より実感を持って感じられるようになってきた。

若い頃の父

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